もし走馬灯を見ることがあるなら、ハリーポッターの賢者の石の終盤でダンブルドアが鬼加点する場面は入れて欲しい
あいさつ

こんにちはこんばんは雨崎です。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私は今横になっているのですが、左肩に猫が乗っています。
左肩に猫です。
戸愚呂兄弟みたいになってます。
こうなった以上、暗黒武術会に出るしかないのかもしれません。
本題

我々は常に評価される存在である
家族としてどうか、友達としてどうか。
学力はどうか、運動能力はどうか。
恋愛対象としてどうか、仕事仲間としてどうか。
人と関わって生きている以上、良くも悪くも、他人から何かしらの評価を受けながら生きています。

まあ私は“評価を超越する側”ですがね
人間と似た立ち位置のものに、「商品」があります。商品も常に評価に晒されています。
つまり我々は、周囲にとっての商品的な側面があると言っていいでしょう。
さて、たとえば商品のパッケージに、

正直、美味しくはないし栄養も少ないんだけど、買ってください
と書いてあったとして、誰が買いたいでしょうか。
多くの人は、

美味しい!栄養満点!
と書いてある商品の方を選びたいでしょう。
というか、前者を買う理由がない。
実際は前者の方が美味しいかもしれないし、栄養価だって高い可能性もある。
しかし、パッケージが不味そうなせいで、自信が無さそうなせいで、選ばれにくくなるのです。
これは人間も同じです。
「自分はブスで、何の取り柄もないけど……」
これを買いたい人間はまあ居ない。
そしてここで問題なのは、
“相手からの評価”は当然相手が行うものなので、相手に任せておけばいいのに、
評価されることに日和って、自分が先に“相手からの評価”を決めてしまうのです。しかも傷つきたくないからマイナスに。

無理やり自信満々になれ、という話ではない
別に、「自分が世界で一番○○!!」みたいに、思ってもいないことを言えとか、無理やり自信があるフリをしろと言っているわけではありません。
そうではない。
自信がない部分をわざわざ自分から広告するな、ということです。
そもそも自信がない部分なんて誰にでもあります。
だが、それを会う人全員に説明して回る必要はない。
「私、○○できません。あれも苦手です。これも苦手です」と、自分の欠点一覧をプレゼンする必要なんてどこにもないのです。

自信がなくてもいちいち足さない
さらに言えば、この手の卑下や自虐は、周囲の士気を大いに下げます。
たまになら良いものの、あまりに連発されると
「そんなダメなところばかりのあなたを選んだ私がバカみたいじゃん」
「そんなダメな商品なら、買わなきゃよかった」
と思われるようになります。
どんなに上手く行ってなくても、安易に自分を下げない方がいい。
自分を下げるということは、自分を買ってくれる周囲の人を下げることにも繋がるのだから。

逆に言えば、
卑下や自虐は「選ばれにくくなる」ための最適解とも言えるかもしれません。
まとめ
この記事を書き終わってもまだ左肩に猫がいます
暗黒武術会出場してきます



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