活動を始めた当初は、やりたいことをぶん回してた。
自分の魅力を押し付けることだけ考え、動画投稿も配信も行った。
それで登録者数は伸びたし、ファンもスムーズに増えた。
そして、それが「出来過ぎ」とも思わなかった。
やる前から、自分の能力ならこれぐらいは行くだろうと思っていたからだ。
やがて、伸び悩む時期が訪れる。
そこで、俺は「努力」に手を染める。
計算してヒットを打とうとして、試行錯誤を繰り返す。
コツコツと「努力」をして、見てくれる人のために、応援してくれる人のために、活動を行った。
「自分のやりたいこと」からは離れ始めていた。
俺は努力家ではない。
真面目なところや優しいところがあるように見られることがあるが、
それはあくまで「俺がやりたいこと」をやった結果であり、
俺自身は何一つ真面目ではない。
元々は、
ちゃらんぽらんで、
面白いこと最優先で、
倫理観や社会性に欠け、
自分の持ってるものだけで勝とうとして、
努力は割愛する。
そういう人間だった筈だ。
なのに、やりたいことをやっていたはずが、
その作業はいつの間にか「努力」に変わっていた。
ここ数年、ずっとコツコツ「努力」をしていた。
YouTubeやファンクラブの登録者は伸びた。
だが、深いファンが増えたかと言われるとそうではない。
そして、ここ最近、気付いた。
俺は滅茶苦茶する側だと。
生まれてからずっとそうだったのに、
ここ数年「努力」をしていたせいで、
自分が真人間になれるかのように思ってしまった。
気付いたきっかけは色々な漫画。
漫画には、さまざまなキャラが登場する。
その中には、
コツコツ計算して目標を達成する努力タイプと、
やりたいことだけやって何故か伸びる天才タイプが存在する。
俺は後者だ。
活動で得たものを振り返った時、どう考えても努力で培ったものではない。
苦労して培ったものはない。
全部、俺がやりたいことをやった時に得たものだ。
俺の才能に人がついてきている。
俺の努力には誰もついてこない。
俺がぶつける「やりたいこと」にのみ反応する。
俺が真面目に何を積み重ねようが、ファンは興味がない。
配信で、俺の努力について話すこともあるが、恐らくファンが興味を持っているのはそこではないのだろう、ということも気づく。
いや、恐らく俺自身も興味がないのだろう。
なので決めた。
活動を始めた初期と同じである。
やりたいことだけやって暴れる。
面白いことだけやる。
アンバランスだろうが横着だろうが知らない。
上記の気持ちになってから、収録が楽しくなった。
SNSでの振る舞いや、ファンとの交流も熱量が一段戻った気がする。
努力期も無駄ではない。
その間に培った技術は、今後にそのまま生かされる。
そして、活動においてもう努力はしない。
俺が面白いことを突き詰めていく、そのうち自然と全ての作業は完了するし、深まる。
もっと刺さる人も増えてくるだろう。
一定の確信がある。
楽して結果を出し、楽してモテて、
苦労して失敗し、苦労して空回りしてきた人間として、
これは俺の中にある絶対の自信である。
活動において、努力家の自分は爆破した。
真面目で努力家な自分が生み出すものは面白くないし魅力に欠けるので要らない。
ああすればウケる、
こうすればウケる、
人の顔色見て合わせるなんて器用なやり方は自分には向いてない。
周りに合わせさせる。
これを決めてから、もういくつも収録を行った。
活動へのワクワクが大きく増した。


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